冒頭の引用文に、こうある。
善人悪人というのはない。人には美しい瞬間と醜い瞬間があるだけだ。
ーー市原悦子
この本は西加奈子さん、5年ぶりの長篇。再生と救済の物語。
主人公の俺とその親友アキ、2人の男性の人生の30代前半までを俺の語り口調で回顧する読みやすい文体なのですぐに引き込まれる。
すうっと頭に入る文体で読み進める前編は彼らの学生時代を描き、後編はいわゆる大人、社会人になってからの人生を描いている。
この本の特徴として、物語全体に貧困が重たくまとわりついていて、いつもすぐそばにある。
フィクションなんだけれど、巻末の主要参考文献にいくつかの「こどもの貧困」に関する書籍を挙げている事からも、実態に沿うような描き方をしていると思うと、読んでいて胸が詰まる箇所が多い。
あと、現在よく取り上げられる社会問題である、ネットにおける匿名での誹謗中傷についても触れている。
この描き方がとても素晴らしく、それはそれは恐ろしかった。言ってやりたい!おとしめてやりたい!と思う心情の変化とその人の背景を細かく描写していて、もしかすると自分の人生が今と違った場合は私も加害者になりえるんじゃないか、単純にそう思えて怖くなったシーンがある。
ここから少し本の話から外れて私の話になるが、少し前にTwitterのとある人気アカウントが経歴詐称疑惑で叩かれた事があった。
経歴詐称の正誤はどうでもよいので置いておくとして、誰かに叩かれたことがきっかけで、1日に数百件の暴言が匿名の質問箱(誰でも名前を伏せて書ける場所)に届き、眠れないほどに悩んでいた。何度もツイートで、身バレが怖かったので少しボカして書いていたと謝っていた。でも暴言は続いた。
私は不思議だった。匿名掲示板であるTwitterで、有料のサービス提供者でもないただの一般人が少し自分の事をボカして記載している事の何がいけないんだろう。
百歩譲って良くないとしよう。良くなかったとして、なぜ本人に文句を言うのだろう。何も被害にあっていない関係のない人が暴言を、しかも本人に向けて悪意を込めて吐けるのだろう。その心理が理解できなかった。
あまりにも酷い暴言などが続いたようで、ご本人が弁護士に相談し悪質なものは訴える(開示請求し、相手を特定する)と言ってピタリと収まった。
その方はなぜ誹謗中傷していたのかを加害者のひとりから聞けたようで、
「自分の実生活でうまくいってない時に、面白半分にやっていたそうです。」とのことだった。
この本の中でも、正にその通りだった。
「自分の実生活でうまくいってない時に、面白半分にやっていたそうです。」本の中ではこうだった。
上記で書いた事は物語の中心部分ではなくかなり断片的な部分である。青年たちの日常を時に清らかな風のような日を、それをあっという間に飲み込むような豪雨な出来事を、はたまた大地震で今までの日常のすべてが崩れていくような瞬間を、そしてそこからの未来を描いているので、ぜひ読んでみて欲しい。登場人物ひとりひとりが読者の頭の中にしっかりと浮かぶほどリアルで、それぞれの人生を生きている。
読み終わった後、本の中の登場人物たちは今も元気だろうか、ちゃんとやってるんだろうか、と現実の顔見知りのような気持ちにさえなるくらいだ。
善人悪人というのはない。人には美しい瞬間と醜い瞬間があるだけだ。この本の中で、そのどちらも感じた気がした。
ひとつ前に読んだ i (アイ) という本もお勧めです。こちらは主人公が女の子。読後感はとても爽やかな気持ちに。
まだ読めていないのだけれど(いわゆる積読本)夜が明けると近しいんじゃないかと思うのが、山田詠美さんのつみびと。
灼熱の夏、23歳の母・蓮音は、なぜ幼な子二人をマンションに置き去りにしたのか。真に罪深いのは誰なのか。
ハードカバー帯には、3人が推薦文を寄せる。
【小泉今日子】ーー今、社会の中で、気づかなくちゃ、感じなくちゃいけないことがきっちり書いてある。
【是枝裕和】 ーー小説であることをしばしば忘れ、その度に本を閉じたが、読み終わったときに感じたものは「希望」に近い何かだった。
【仲野大賀】 ーー息を殺しながら生きなくてもいいように、誰かの心が壊れないように、この物語が生まれたんだと思う。
5年ぶりの長篇。再生と救済の物語。
とても重い問題をかなりたくさん取材してこの1冊に詰め込んでいる。
本を読んでいる途中何度も感じた事だが、巻末の主要参考文献の一覧を見て、改めてそう感じた。